小学生A「だからさ林檎は宇宙そのものなんだよ。
手の平に乗る宇宙。この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ。」
小学生B「あっちの世界?」
小学生A「カンパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ。」
小学生B「それと林檎になんの関係があるんだ?」
小学生A「つまり、林檎は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ。」
小学生B「でも、死んだら全部おしまいじゃん。」
小学生A「おしまいじゃないよ!
むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ。」
小学生B「わかんねぇよ。」
小学生A「愛のハナシなんだよ?なんで分かんないのかなぁ~。」
宮沢賢治の銀河鉄道の夜
ちなみに、ショウマとカンバの名前の由来は「銀河鉄道の夜」に出てくる
「ジョバンニ」「カンパネルラ」らしい
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この記載、成程意味深。。
そして採取w
最終回の子供は、絶対に『高倉冠葉』と『高倉晶馬』だと思う。
だってペンギンがついて行っているし。。
でも小学生(リンゴを半分にしたから、16歳の半分の8歳くらい?)になって生きているのか、生体ではない存在なのかは、説明もなく、判らない。
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最後の会話
「ねぇ僕たちどこへ行く?」
「どこへ行きたい?」
まさにジョバンニとカンパネルラっぽい。
・カンバネルラ=冠葉=身を削れる人
・ジョバンニ=晶馬=迷う人
でも、人生の行く先は分からない。
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確かにラスト判りづらいアニメだから、好き嫌いが出るのかもね。
私は、高倉冠葉の愛に一途で破滅へ突っ走る走り方は嫌いじゃない(寧ろ好き)し、
何かが残るラストも(もう少し説明欲しいけど)好き。
それにどこにだって行けても、苹果と陽毬が心配でちょいちょい覗きに来てそうだよね。
それとも彼らも覚えてないのかな?
子供ブロイラーは衝撃だった、そんな世界嫌だ。