</strong>子を車に放置 パチンコ依存症の親たち</strong> ■「炎天下の車内蒸し」で亡くなった子供たち 児童虐待防止法が施行された2000年以降、新聞の社会面に小さく、しかし何度も載る記事が、子育てをする親たちの胸を痛めている。真夏の自家用車内に残され、熱中症・脱水症で命を落とした子供たちの記事である。 乳児から幼児、中には小学校低学年の児童もいた。「暑くないように」と窓を半開にしたり、お腹が空いたら食べるようにとお菓子やおにぎりを与えられたり、ジュースの入った哺乳瓶を枕元に置かれたり。しかしそのような親の気遣いは、真夏の摂氏60〜70度にも上がる車内の温度の前では、すべて無になる。 子供たちが車内で弱々しく息耐えていく間、大人たちが興じていたことは判を押したように同じだった。パチンコである。しかしこのタイプの事件は後を絶たない。 ■パチンコ・ネグレクト(育児放棄)症候群 同じような事件が度重なり、虐待の一形態としての「育児放棄(ネグレクト)」が一般に知られるようになった。 ネグレクトとは放置虐待とも呼ばれ、子どもが健康に生活していくための衣食住の世話や保護をせずに、親としての責任を放棄して、子どもを放ったらかしにしておくことと定義されている。 しかし、子供を自家用車内に残してパチンコに興じる親たちには、自分のしていることが育児放棄であり、罪になるという認識があるとは言えない。 親がパチンコに夢中になっている間に自家用車内で子供が命を落としてしまう事件の背景には、多くのパチンコ店が子供連れの入店を断っているという現実がある。自分たちはパチンコがしたい、でも子連れでは入れない、だからせめて車の中で寝かせておく。その何が悪いのか、仕方がないじゃないか、という認識である。 理由が何であれ、保育が必要な子供を放置しておくことは親の育児放棄であり、それが短時間であっても万が一それが原因で子供が死に至ってしまえば、保護責任者遺棄致死罪に問われる。度重なる「パチンコ・ネグレクト」事件がいやというほど報道され、その危険性が訴えられても、同じような事件が後を絶たないのはなぜなのか。その背景には、推定100万人以上と言われる「パチンコ依存症」があると言われている。 ■パチンコ依存症とは? 大当たりが出て脳が興奮すると、「コルチゾール」という沈静物質が分泌される。興奮が続くとコルチゾールの作用が大きくなり、少しの刺激では興奮できなくなる。そのため、より強い刺激を求め、パチンコがやめられなくなる。これがパチンコ依存症だ。 まだ数は少ないものの、精神科病院には「パチンコ(ギャンブル)依存症外来」を設けているところがある。アルコール依存症外来などと同様に、パチンコ依存症もまた治療の必要な精神疾患の一つなのだ。 単に「○○が好き」を通り越して、借金を重ねたり、仕事や人間関係を失ってまで一つのことに固執し始めたら、それは依存症と診断される。本人に自覚があれば治療の余地はあるが、多くは自覚がなく、また周囲も諦めていたり、むしろ関わらないようにしていたりする場合は、事態は深刻化するばかりだ。 ■虐待の世代間連鎖 真夏の自家用車に子供を放置して何時間もパチンコに興じてしまう、パチンコ・ネグレクト症候群の親たちは、「パチンコ依存症」によって判断力が低下し、状況に対して適切な対応が出来なくなっていると考えられている。しかし「児童虐待」という側面から見ると、その根は深い。 ネグレクトに限らず、虐待には世代間連鎖の問題があると考えられているからだ。アルコール・ギャンブル依存症や児童虐待をする親などに育てられた子供が、成長して自分自身もかつて自分が受けたのと同じような虐待を子どもにしてしまう哀しいケースは数多く報告されている。 もちろん、全てがそうだというわけではない。しかし、「虐待の世代間連鎖」は虐待の非常に深刻な影響の一つであると考えられている。精神的、肉体的に虐待を受けて育った子供が発達性障害を抱え、自尊心を持てずに大人になってしまった結果、思わず知らず自分の子供に同じことを繰り返してしまうのである。自分を卑下する気持ちが、子供に同じ痛みを与える。ネグレクトをする親は、自分もまた育児放棄されて育ってきた場合が多い。「子供はそうやって育つものだ」と、それ以外に子供の育ち方を知る機会がなかった、被虐待児の哀しさにも胸が痛む。 その時もちびっこ何人かがお父さんを待ってました。 PR |
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