山里は 冬ぞさびしさ まさりける
人目も草も かれぬと思へば 源宗干 (みなもとのむねゆき)右京太夫 (古今和歌集) [通釈]山里は、なんといっても冬が秋などではなく冬が、寂しさが一段と身に染みて感じられも絶え草も枯れてしまうと思うと、もう、そう思うだけで。 *********************************** 『源宗干』で調べた。 以下抜粋: (?-939) 平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。是忠親王の子。正四位下右京大夫。「大和物語」に不遇を嘆く歌を残す。「古今和歌集」以下の勅撰集に一五首入集。家集「宗于集」 894年(寛平6年)源姓を賜与され、臣籍降下する。丹波権守、摂津権守、三河権守、相模権守、信濃権守、伊勢権守などの国司を務めるなど地方官を歴任し、また兵部大輔、右馬頭を務めた。天慶2年(939年)正四位下・右京大夫に昇進したが、翌年に没した。 「寛平后宮歌合」などの歌合に参加、紀貫之などと交流があった。『古今和歌集』(6首)以下の勅撰和歌集に15首入集。家集に『宗于集』がある。『大和物語』に右京大夫として登場する。 小倉百人一首 28番 山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も 枯れぬと思へば(『古今和歌集』冬315) ****************** 自分が写した手持ち資料には、『光孝天皇の孫、皇族から臣籍に移った』と有りました。 そういえば、この歌には、久しぶりに私の書いた要説が残っていたので、それも入力します。↓ 要説)下の句の「思へば」は不要とする見方がある。 確かに一見、説明的すぎる傾向が感じられるが、冬に入ろうとする今 「ああ、いよいよ人も訪れなくなり草も枯れつくした山里」の情景が まぶたに浮かび、まだそうなったわけでもないのにそのことを思いやるだけでも 寂しさが身に沁みる、ということを考えれば「思へば」があることで初冬の和歌であることが活きる。 またそこに繊細な歌人の情感を読み取りたい。 「かる」は人目に対しては「離る」、草に対しては「枯る」の掛け言葉。 「さびし」「わびし」は、秋のイメージというのが相場だったことを背景に味わいたい。 ↑ こんなん、ノートに書いてありました。そっかそういえば、そうだっけ?(^_^;) まぁこういうのを見てお勉強をする人はいないとは思うけど、 私のは確実だっていう自信ないから、調べてからお使いください~。 PR |
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