心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花
凡河内躬恒 (おおしこうちのみつね) [通釈]もし折ろうとするなら、大雑把な見当ででも折ってみようかしら。初霜が白さを争うように置いて、どこが花だかわからなくしている、見事な白菊の花。( ) *********************************** 『凡河内躬恒』で調べた。 以下抜粋: 小倉百人一首29 平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。歌合わせ・歌会・屏風歌(びょうぶうた)に作品が多い。古今集撰者の一人。家集に「躬恒集」がある。生没年未詳。 寛平6年(894年)2月に甲斐権少目、延喜7年(907年)1月に丹波権大目、同11年(911年)1月に和泉権掾、同21年(921年)1月に淡路権掾に任ぜられるなど、地方官を歴任。延長 3年(925年)、和泉から帰京して後まもなく没したという。 歌人としては三十六歌仙の1人に数えられ、延喜5年(905年)に紀貫之・紀友則・壬生忠岑と共に『古今和歌集』の撰者に任じられる。歌合や賀歌・屏風歌において活躍し、宇多法皇の大堰川行幸(907年)、石山寺御幸(916年)、春日社参詣(921年)などに供奉して和歌を詠進した。官位は低かったものの、古今和歌集への58首をはじめとして勅撰和歌集に194首入集するなど、宮廷歌人としての名声は高い。家集『躬恒集』がある。 なお、広峯神社祠官家である廣峯氏は躬恒の末裔を称した。 ****************** 霜と見紛うほどの白菊の花…なんて綺麗な歌ですよね。 WEBに載っていた逸話も愉しい。↓ 『大和物語』一三二段に、醍醐天皇に「なぜ月を弓張というのか」と問われ、即興で「照る月をゆみ張としもいふことは山の端さして入(射)ればなりけり(=照っている月を弓張というのは、山の稜線に向かって矢を射るように、月が沈んでいくからです)」と応じたという話がある。 『無名抄』によると貫之・躬恒の優劣を問われた源俊頼は「躬恒をばなあなづらせ給ひそ(=躬恒をばかにしてはいけません)」と言ったという。…/// 自分が写した手持ち資料には、『躬恒、‘古今集’の五人の撰者の一人』と有りました。 そういえば、この歌にも、久しぶりに私の書いた要説が残っていたので、それも入力します。↓ 要説)あくまでも白菊の美を詠むのが主眼であって、初霜は白菊をひきたてる脇役。 初雪の白さに負けない純白の菊、その美しさに手折るのも憚られる。 でももし折ってみようというのなら、まったくの「心あて」つまり当て推量で折ってみようかしら、というのである。 「折らばや」の「ばや」は、未然形に付く接続助詞「ば」に疑問の助詞「や」が付いたもの。 この「や」と「折らむ」の「む」とで、ためらうような気持ちが出る。 白菊の白さの印象を誇張して表現した和歌。このような誇張した表現方法は「古今集」の頃の歌風である。 (正岡子規はこの和歌について、つまらぬ嘘で少しの値打ちもない、と酷評したらしいが、そう捨てたモノでもないと思っている人も多いらしい…) ↑ こんなん、ノートに書いてありました。そっかそういえば、そうだっけ?(^_^;) まぁこういうのを見てお勉強をする人はいないとは思うけど、 私のは確実だっていう自信ないから、きちんと調べてからお使いください~。 三十六歌仙の一人って有るけど36歌仙ってなんだっけ? 歌の上手い人36人ってことかしら。 そういえばそんなことより、オオシコウチで入力打っても ミツネで入力打っても、きちんと変換される程有名な方ってのが吃驚。!(^^)! PR |
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