みかのはら わきてながるる いづみがは いつみきとてか こひしかるらむ
中納言兼輔 (ちゅうなごんかねすけ) [通釈]みかの原をわきて流れる泉川、その「いつ」という言葉ではないが、一体いつ見たので、なぜこんなにあの人が恋しいのでしょうか。(新古今集) *********************************** 『中納言兼輔』で調べたら、藤原兼輔とでました。 以下抜粋: 小倉百人一首27 藤原 兼輔(ふじわら の かねすけ、元慶元年(877年) - 承平3年2月18日(933年3月21日))は、平安時代中期の公家・歌人。藤原北家、右中将・藤原利基の六男。官位は従三位・中納言。また賀茂川堤に邸宅があったことから堤中納言とよばれた。三十六歌仙の一人。 醍醐天皇の外戚であったことから、その春宮時代より仕え、寛平9年(897年)に醍醐天皇が即位すると昇殿を許される。醍醐天皇に非蔵人として仕える傍ら、讃岐権掾・右衛門少尉を経て、延喜2年(902年)従五位下に叙せられる。 延喜3年(903年)内蔵助に抜擢されたのち内蔵寮の次官次いで長官を務める傍ら、左兵衛佐・右衛門佐・左近衛少将といった武官や五位蔵人を兼任して引き続き天皇の側近として仕えた。延喜17年(917年)蔵人頭、延喜19年(819年)左近衛権中将を経て、延喜21年(921年)に参議として公卿に列した。延長5年(927年)従三位・権中納言に至る。 承平3年(933年)2月18日薨去。享年57。最終官位は権中納言従三位行右衛門督。 PR |
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