ひとはいさ こころもしらず ふるさとは
はなぞむかしの かににほひける 紀貫之(きのつらゆき) [通釈]あなたの心はさぁ、もとどおりであるかどうかわかりませんけど、(古今集) さすがこの地の花は昔のままの香で美しく咲きにおっていることです。 ********************************************************************** 紀貫之で調べた。以下抜粋。 (866?-945?)平安前期の歌人・歌学者。三十六歌仙の一人。御書所預・土佐守・木工権頭。官位・官職に関しては不遇であったが、歌は当代の第一人者で、歌風は理知的。古今和歌集の撰者の一人。その「仮名序」は彼の歌論として著名。著「土左日記」「新撰和歌集」「大堰川(おおいがわ)行幸和歌序」、家集「貫之集」。 紀 貫之(き の つらゆき)は、平安時代前期の歌人。『古今和歌集』の選者のひとり。また三十六歌仙のひとりでもある。紀友則は従兄弟にあたる。 紀望行の子。幼名を「内教坊の阿古久曽(あこくそ)」と称したという。[1]貫之の母が内教坊出身の女子だったので、貫之もこのように称したのではないかといわれる。 延喜5年(905年)、醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集である『古今和歌集』を紀友則・壬生忠岑・凡河内躬恒と共に編纂し、仮名による序文である仮名序を執筆した。(真名序を執筆したのは紀淑望)「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」で始まるこの仮名序は、後代の文学に大きな影響を与えた。また『小倉百人一首』にも和歌が収録されている。理知的分析的歌風を特徴とし、家集『貫之集』を自撰した。 日本文学史上において、少なくとも歌人として最大の敬意を払われてきた人物である。種々の点でその実例が挙げられるが、勅撰歌人としては『古今和歌集』(101首)以下の勅撰和歌集に435首の和歌が入集しているのは[2]他の歌人に比べて最高数であり、三代集時代の絶対的権威者であったといえる。 PR |
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