あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに
よしののさとに ふれるしらゆき坂上是則 (さかのうえのこれのり)
(古今集)
[通釈]
夜明けがた、有明の月が光っているのかと思うくらいに
吉野の里に、一面にふっている白雪よ。
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歌番号
31
四季(冬)
有明の月のように明るく降り積もる吉野の雪の清さを詠ったうた
歌意: ほのぼのと夜が明けるころ、明け方の月が照らしているのかと見間違えるほどに、吉野の里に白く降り積もっている雪であることよ。
When the dawn broke after a lovely night, the snow of Yoshino is so brilliant one that one could mistake it for the moon at dawn.『皇太后宮大夫俊成』で調べたら、藤原俊成がHITしました。
以下抜粋:
(生没年不詳) 平安初期に蝦夷を平定した坂上田村麻呂の子孫。和歌に秀で、三十六歌仙の一人。蹴鞠の名手。
【朝ぼらけ】
夜が明けてきて、ほのかにあたりが明るくなってくる頃。
【有明の月】
夜明けの空に残って、明るく光っている月。
【みるまでに】
この「みる」は、「見る」ではなく、「思う」とか「判断する」
という意味。「まで」は極端な程度を表す副助詞で、「思うばかり
に」というほどの意味になります。
【吉野の里】
吉野は、大和国(現在の奈良県吉野郡)吉野のあたり一帯。平安
時代には、春は桜、冬は雪の名所として知られる山里でした。
【ふれる白雪】
「る」は、継続を示す助動詞「り」の連体形で、雪が降り続いて
いるという意味。「体言止め」使用。
■□■ 作者 ■□■
坂上是則(さかのうえのこれのり。?~930)。
征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の子孫、
坂上好蔭(よしかげ)の子という説があります。大和権少掾(やま
とのごんのしょうじょう)などを経て、従五位下・加賀介(かがの
すけ)に出世しました。三十六歌仙の一人です。
■□■ 鑑賞 ■□■
坂上是則は、世に名高い三十六歌仙の一人です。三十六歌仙とは
11世紀に藤原公任が選んだと言われる和歌の名手36人のこと。是則
の他に、小野小町や在原業平、紀貫之などが名を連ねています。
◆◇◆
そんな是則が、大和権少掾に任ぜられて大和に赴いた延喜六年(
908年)の冬のこと。吉野の山の近くにある宿に泊まった夜明けに
ふと目を覚ますと、表がとても明るいようです。
「夜明け方(有明)の月だろうか?」底冷えのする寒さの中、外
を見てみると、雪が降っていました。
吉野の名所に降る雪明かり。月の白い光を雪や霜に見立てるのは
中国の漢詩でよく行われていた比喩です。中国の大詩人・李白の作
った「静夜思」にも「牀前看月光、疑是地上霜」の一節があります。
◆◇◆
奈良県吉野郡の吉野周辺は、吉野熊野国立公園に指定されている
ように、自然の美しい土地で、万葉の昔からたくさんの歌に詠まれ
てきました。雪をかぶった山々の美しさもさることながら、春には
花園山、船岡山、温泉谷のあたりが桜の名所として有名です。
レジャーに訪れる場合には、近鉄吉野線の終着駅で下車します。
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蹴鞠の名手ってことまで判るの?どっかに書いてあるのかもね、
吉野って綺麗なとこなんだろうね。
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