村雨の 露も未だ干ぬ 槇の葉に 霧立ち昇る 秋の夕暮れ
寂蓮法師 (じゃくれんほうし) [通釈]あわただしく降りすぎた村雨の露もまだかわききらない槇の葉に霧が立ち上っている。秋の夕暮となったことよ。( ) *********************************** 『寂蓮法師』で調べた。 以下抜粋: 小倉百人一首87 寂蓮(じゃくれん、1139年(保延5年)? - 1202年8月9日(建仁2年7月20日))は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人、僧侶である。俗名は藤原定長。 僧俊海の子として生まれ、1150年(久安6年)頃叔父である藤原俊成の養子となり、長じて従五位上・中務少輔に至る。30歳代で出家、歌道に精進した。御子左家の中心歌人として活躍し、「六百番歌合」での顕昭との「独鈷鎌首論争」は有名である。1201年(建仁元年)和歌所寄人となり、『新古今和歌集』の撰者となるが、完成を待たず翌1202年(建仁2年)没した。 『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に、117首入集。家集に『寂蓮法師集』がある。 ****************** 色んな藤原さんが居てよく判らない…。 そういえば寂蓮で入力打っても、藤原定長で入力打っても同じ人で 出るなんて、きちんと名前が管理されているんだね(^_^;) PR |
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