あはぢしま かよふちどりの なくこゑに
いくよねざめぬ すまのせきもり 源 兼昌 (みなもとの かねまさ) (金葉集) [通釈]淡路島へ往き来する千鳥の物悲しく鳴く声に、幾晩目をさまして眠れぬ夜を過ごしたことか、須磨の関守は。 PR |
みよしのの やまのあきかぜ さよふけて
ふるさとさむく ころもうつなり 參議 雅經 (さんぎ まさつね) (新古今集) [通釈]吉野山の秋風が、夜ふけて寒く吹き渡る中に、この吉野の里では、寒々と衣を打っているようだ。 |
しらつゆに かぜのふきしく あきののは
つらぬきとめぬ たまぞちりける 文屋 朝康 (ふんやの あさやす) (後撰集) [通釈]草葉の上に置いた白露に風がしきりに吹いている秋の野は、まるで紐に貫いてとめてない玉が散り乱れているような美しい光景だことよ。 ******** 文屋 朝康(ふんや の あさやす、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人。六歌仙・中古三十六歌仙の一人縫殿助文屋康秀の子。子に康永がいる。従六位下・大舎人大允。 892年(寛平4年)駿河掾、902年(延喜2年)大舎人大允に任命されたことが知られる以外、伝記・経歴については不詳である。 「寛平御時后宮歌合」「是貞親王家歌合」の作者として出詠するなど、『古今和歌集』成立直前の歌壇で活躍した。しかし、勅撰和歌集には、『古今和歌集』に1首と『後撰和歌集』に2首が入集しているに過ぎない。
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