『マギ』の第二シーズンを見ました★
声優陣も豪華。 結構愉しめましたので、早く第三シーズン作ってほしいな★ 私は、案外腹黒なシンドバットを練紅玉に攻略して欲しい妄想を持ってます~。 今折り返し地点らしいので、全部で40巻くらいになるのかな? PR |
1st STATION『そして運命のベルが鳴る』小学生A「だからさ林檎は宇宙そのものなんだよ。 ************************手の平に乗る宇宙。この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ。」 小学生B「あっちの世界?」 小学生A「カンパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ。」 小学生B「それと林檎になんの関係があるんだ?」 小学生A「つまり、林檎は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ。」 小学生B「でも、死んだら全部おしまいじゃん。」 小学生A「おしまいじゃないよ! むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ。」 小学生B「わかんねぇよ。」 小学生A「愛のハナシなんだよ?なんで分かんないのかなぁ~。」 宮沢賢治の銀河鉄道の夜…だね、確かに。 この良いようだと、ラストはやっぱあっちの世界に行っちゃったって感じなのかしらね。 ************************** 12話 (陽毬の心停止時)
13話 (陽毬の蘇生時)
関連神話・伝承
この一連の童謡の様な伝承話もさることながら、女神様の声が優しくって逆に怖かったぞ。 |
アニメ、小説ともに
意図的なのか、単なる設定ミスか、描写間の年代や人物年齢が整合していない部分が多い。
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輪るピングドラム 可愛すぎるペンギン
考察をまとめサイトより引用 525 名前:名無しさん 投稿日:2011年12月24日 08:36 「少年よ、我に帰れ」というもう一つのテーマから言えば、真砂子にとっては兄を取り戻したい、陽毬にとっては一人だけあらぬ方向へ暴走してしまった冠馬の心を取り戻したいというダブルミーニングになってると思う。冠葉という名前にはカンパネルラとカムバックの両方の意味が含まれてる。 陽毬の運命の人は晶馬だったけど、彼女はちゃんとふられてから自分の命に代えて冠葉の心を取り戻そうという決心をしている。二人は血は繋がってないけど容姿も性格もよく似ていて優しく人を癒す存在だけれども、情熱的に境界を超えていく冠葉や苹果のような激しさを自発的には持ってない。本当の兄弟ではないが兄弟的な関係。冠葉と陽毬は異性的。冠葉の度重なる自己犠牲はいつしか陽毬の心を動かしたはず。少なくとも陽毬が死ぬ間際に呼んだ名前は冠葉だった。 冠葉には自分が陽毬の運命の人でないことに深いコンプレックスがある。冠葉は著しく間違った方向へ暴走してしまったけれども、それが全て愛からであったゆえに愛した者たちからの救われた。始まりは冠葉が晶馬に渡した半分のリンゴであり、そのリンゴが自分へ帰ってきたときに(陽毬が冠葉にキスした時に)冠葉の心も帰ってきた。 晶馬は冠葉のリンゴを返す代わり、別の苹果を得た。冠葉からリンゴをもらったときは思いつかなかった何かを伝えたい人、伝えたい言葉の両方。そして同時にリンゴを分け合うことのもう一つの意味「運命を改変する」ことの罪を引き受ける。 主人公達はそれぞれ自分の命を犠牲にして誰かを助けている。それゆえ彼らは「本当の幸い」を分け合った場所において永遠に一緒にいられる。誰も愛せないサネトシだけが暗闇に取り残される。 これもハッピーエンドなんだろうな。 ********************* うーん、そっかなぁ。 一種のハッピーエンドなのかもしれないけど、私はもっと大団円にして欲しかった。 それか、2に続くとか。。。 結構皆(特に桃果と眞悧)、自分の勝手で冠葉と晶馬を振り回してるよね? 初めは陽毬の死を受け入れてたのに、生き返らせることによって 自分がなんとかすれば生き返るかもしれない!ってことになったら、 そりゃ必死になるわさ。(それでも人命を奪っちゃいけないとは思うが) 初めは軽い事(手帳を奪う)をすればOK、でもどんどん重いことを要求される…893手腕かい。 結果的に男の子たちの望み通りにはなったけど、なんかなぁ…。 男の子を盾にした陽毬と苹果の遺伝子レベル(無意識)での‘生存戦略’だったのかなと、ちらっと酷いこと思ったりしたけど。 願わくば、また渡瀬眞悧あたりが、姿を現して現世をかき回して、 そのどさくさで、2CPとも両想いになって欲しい所(乙女チック妄想) (^_^;) |
輪るピングドラム最終回(ネタバレ注意) これはすごいアニメだ
「愛してる」 最終話タイトル。 色々な愛の形が描かれた最終話でした。 冠葉、昌馬、ひまり、りんご。多蕗&百合。 自分をだめにしてしまっても 相手を守ってあげたい。 とにかく相手に生きていて欲しい。 そういう感情を愛だとすると、 最後に3兄弟は愛情を分け与え、共有したんですね。 最終的に1人生かされたヒマリも、自分の命はもういいよ、と思っていた訳で。 冠葉は結局それでもヒマリを救いたかったので、 ヒマリは生き残ったということでしょうか。 特に冠葉には乱暴かもしれませんが、「自己犠牲の愛」 そういう愛がありましたね。 昌馬は、そんな冠葉も愛しているので、それに「ついて行った」のでしょう。 昌馬は最後に、リンゴちゃんを愛しているということに気がつき(認め?)、 「愛してる」と伝えたところには、いたく感動しました。 何に感動したって、 家族というある意味守られた空間で愛をまわし続けるのではなく、 「第3者」に愛を与えてみるという 勇気ある行動をしたことに。 冠葉とともに消えていくと同時に、リンゴちゃんを守ったということは、 「運命」を受け入れ、同時に「運命」に逆らったということでしょう。 でも、「運命」って一体なんなんだ? とにかく、このアニメは、現代人へのあったかい応援歌だと思うのです。 無縁社会、孤独死、終わらぬ不況、、日本は、ハッキリ言って、暗闇の中でもがき中です。 暗中模索もいいとこです。それどころか、世界規模で見ても、 なんか、イマイチ希望をもてない。(気がしている。) 閉塞感がもしかしたら蔓延している2011年、日本。 経済成長を主軸におく国家戦略や資本主義やらは、 もしかしたら破綻するのかもしれない。 世界の枠組みも、もしかしたら、 もしかすると変わるのかもしれない。 日記が無くとも、なし崩し的に世界は、ぜんぶ変わってしまうかも。 けれども、けれど。 そんな閉塞感を受け入れつつも、 愛ある日常とか、愛する人がいるって奇跡的でそして素敵なんだよって。 アナタにはそんな人いる? 今いなくても、いつかね。 ・・・みたいなことをイクニチャウダーは伝えたいのかなぁと。 今のところ思っています。 多蕗さんと百合も言ってましたね。 愛されない子供のなんと多いことか、と。 そんな子供のまま大人になってしまった人間ばっかだよ、と。 でも2人は愛を得たのです。 「愛を得るために、2人は生かされた」、と。 モモカを救うこと(過去に囚われること)を諦め、 今を生きようとし始めるのです。 メルヘン症候群に常時罹患している自分としてはですね。 次のようなセリフがアニメから伝わってくるのです。 (BeatlesのAll you need is Loveとともに) アナタを守り、愛している人は、きっといるよ。 あの兄弟のようにね。 あ、でももしかしたら気づいていないだけで、 (気づこうとしていないだけで、) すでに自分でつかみ取ってるかもね。 多蕗くんたちのように。 人生つらいこともあるし、 傷だらけになったけど、 愛があれば、なんとかなるさ。 愛がなくて孤独死しそうなそこのアナタ、 子どもブロイラーに乗せられそうなそこの大人なアナタ、 生存戦略してごらんよ。 そもそも、アナタ自身、 なんらかの生存戦略で生まれた子供なんだから。 運命ぐらい乗り換えてやれ。 あ、でも もしかしたら、アナタはすでにご褒美のリンゴちゃんを与えられ、 そうして生かされたヒマリちゃんかもしれないね! ・・・・・・言いすぎですかね? でも、我々みんな、ヒマリちゃん予備軍であることは、 間違いないと思うのです。 だって、生きてるんだもの。 最後に、少し気になる点がいくつか。 1、サネトシ復活疑惑 サネトシ先生は相変わらず虎視眈々と、 正義感だかエゴイズムだか分からないものを持ったまま、 謎の世界にとどまっています。 (おそらく、モモカはとりあえずサネトシの暴走を止めたことで 世界やリンゴちゃんを守ったため、消えてしまった。 肉体&精神が消滅したという本当の「死」を選んだのかな?・・・ってことは 冠葉と昌馬も、いずれ死んでしまうのかな・・・号泣。) でも、サネトシは残ったわけで。 いつかまた、サネトシ先生がこの世の中に現れるかも。 そのときは、一体だれが、どんな風に、世界を救うのか。 もしくは、救えないのか。 2、運命って・・・ 愛する人を守って死ぬのは、 果たして「ご褒美」なんですかね。 本当にそこから「物語は始まる」んですかね。 という疑問は、たぶん、持たざるを得ない。 だって昌馬と冠葉は、呪われた運命から、結局逃れられていない。 結果論から言えばね。消えちゃったもん。理不尽ね。 カワイソウ。 もしくはメルヘンナルシストな自己犠牲って、なんか哀れ。 ・・・で終わってはいけないのです、 我々「生かされている」側の人間は。 まぁ、昌馬や、冠葉にとっては、「終わり」。 (2人は別空間でふわふわ生きていますが、 私たちは会えない。見れもしない。 つか、そもそも覚えていない。とっくに、忘れとる。) でも、昌馬や冠葉にとっては、そこが「物語の始まり」。 だから守られた人(ヒマリ&リンゴ&もしかすると私たちの誰か)もまた、 「始まり」にしなければならないのです。 何かを犠牲にしてまで守った人の「命」なんですから。 もうそうなりますと、生きとし生ける人間どもは、 ご先祖様に感謝しなければなりませんな。 なぜなら、そうした生存戦略を得て、 私たちは今「生かされている」のですから。 「運命」てのを「地球で生きる上での必然的な勝ち負け」だとか 「どうしても生まれてしまう犠牲者」とか そういう現実的なものに置き換えられると思います。 でまぁ、それを受け入れた上で、まぁ、生きろ、と。 実は子供の冠葉や昌馬がそこらへんを ウロウロしてるかも? と、終わってからでも思わせてくれる素敵なアニメでした。 ************************************ 遂にDVDと本(上中下巻)を大人買い、なかなかこの熱は冷めず、 今月引き摺りそうです(^_-) |