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今日は、一日かけて『マギ』のDVDを見てました。
『マギ』の第二シーズンを見ました★
声優陣も豪華。
結構愉しめましたので、早く第三シーズン作ってほしいな★

私は、案外腹黒なシンドバットを練紅玉に攻略して欲しい妄想を持ってます~。
今折り返し地点らしいので、全部で40巻くらいになるのかな?

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【2014/07/01 21:03 】 | アニメの感想 | 有り難いご意見(0)
『輪るピングドラム』についてのまたまたつぶやき

1st STATION『そして運命のベルが鳴る』

小学生A「だからさ林檎は宇宙そのものなんだよ。
      手の平に乗る宇宙。この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ。」
小学生B「あっちの世界?」
小学生A「カンパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ。」
小学生B「それと林檎になんの関係があるんだ?」
小学生A「つまり、林檎は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ。」
小学生B「でも、死んだら全部おしまいじゃん。」
小学生A「おしまいじゃないよ!
      むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ。」
小学生B「わかんねぇよ。」
小学生A「愛のハナシなんだよ?なんで分かんないのかなぁ~。」
************************
宮沢賢治の銀河鉄道の夜…だね、確かに。
この良いようだと、ラストはやっぱあっちの世界に行っちゃったって感じなのかしらね。
**************************

12話 (陽毬の心停止時)

メリーさんは美しい3匹の子羊を飼っていました。
牧場を連れて歩けば、誰もが振り返ります。
子羊たちの毛はまるで天使の羽のよう。メリーさんは、それを紡いで糸にする日が待ちきれません。
ところが、ある朝、メリーさんは目覚めてビックリ。庭の林檎の木が枯れています。
それは世界で最初の木。
毎年、見事な黄金色の実を山のように実らせる、メリーさんの大事な大事なもう一つのご自慢だったのです。
林檎の木に駆け寄ると、メリーさんは泣き出しました。
かつて林檎の木は、その輝きで世界の未来・夢・愛を照らしていたのです。
世界は闇に包まれてしまいました。
メリーさんは泣いて泣いて、子羊たちの慰めも耳に届きません。
そんな時、ふいに空から声が降ってきました。
「あきらめないで」「まだ世界は、終わったわけじゃないから」
メリーさんが顔を上げると、見たこともない大きな黒い兎が岩の上に座っていました。
黒い兎は言いました。
「森の奥に女神の神殿があるだろう?」
「そこで燃える松明の灰を取っておいで」「その灰を撒けば、たちまちこの木は元気になるよ」
メリーさんは首を振りました。
女神の火には人が触れてはならないと、掟で決まっていたのです。
「灰をちょっと拝借するだけさ、それで世界は再び光に照らされるんだ」「女神様だってお喜びになるさ」
その夜、メリーさんは神殿の灰を盗んで、林檎の木に撒きました。
黒い兎が言ったとおり、林檎の木は生き返りました。
メリーさんは大喜び。木の下でダンスばかりして、3匹の子羊たちも目に入りません。
しかし、女神様は激怒しました。
やはりそれは、掟破りだったのです。
女神様は、メリーさんに罰を与えることにしました。
でも、その罰はあくまで女神様の気まぐれで…
ド、レ、ニ、シ、ヨ、ウ、カ、ナ
女神様は3匹の中で一番小さな、幼い羊を選びました。
選ばれた子羊は、気立ての優しい素敵な女の子。
料理と編み物が好きで、いつも2人の頼りない兄の心配ばかりしている、小さな女の子でした。
残された兄弟羊は言いました。
「女神様、どうして陽毬を選んだんですか?」
だって罰は、いちばん理不尽じゃないとね

13話 (陽毬の蘇生時)

ふいに女神様は、末の子羊に死の罰を与えるのをやめました。
しかし、女神様は、子羊たちを憐れんで罰を取りやめたわけでも、メリーさんに情けをかけたわけでもありません。
女神様は言いました。「だって、これで罰が終わりじゃあ、つまらないでしょ?」
(黒兎たち)「そのとおり!」

関連神話・伝承

  • 北欧神話の、定期的に食べることで神々に不老不死を与える林檎の樹
  • 旧約聖書の、蛇にそそのかされて智恵の実を食べ、楽園追放の罰を受けるアダムとイブ
  • ギリシャ神話の、人類に火を与えて主神ゼウスの怒りを買い罰せられたプロメテウス
  • 北米インディアンの伝承「天の火をぬすんだウサギ」
  • 枯れ木に灰を撒いて花を咲かせる「花咲か爺さん」
  • ************************

この一連の童謡の様な伝承話もさることながら、女神様の声が優しくって逆に怖かったぞ。

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【2014/05/18 00:03 】 | アニメの感想 | 有り難いご意見(0)
WEB記事、「輪るピングドラム~考察」を読んでの感想3。
アニメ、小説ともに
意図的なのか、単なる設定ミスか、描写間の年代や人物年齢が整合していない部分が多い。


アニメ版

1994/ 3/20  荻野目夫妻が「苹果を桃果の分まで愛していく」と誓った時期(※1)
1995/ 3/20  地下鉄の事件、桃果の命日、苹果・晶馬・冠葉・真砂子の誕生日、桃果10歳・多蕗は小2(※2)(※3)
1999/ 3/19  苹果が両親の喧嘩を目撃(※4)
2001/??/??  「箱」の中の晶馬と冠葉が出会う(※5) 10年前
2001/??/??  KIGAのアジトがある団地で晶馬と陽毬が出会う、冠葉・真砂子・マリオも集会に参加(※6)
2001/??/??  冠葉が夜の夏芽邸でしばしば真砂子と会う(※7)
2001/??/??  夏芽父が死亡、冠葉が高倉家に引き取られる(※8)
2002/??/??  剣山が発熱した陽毬をおぶって病院へ運ぶ(※9)
2005/ 3/20  6話のカレーの日・シュレーディンガーの猫会話の回想(※10)
2006/ 3/20  3話のカレーの日の回想、多蕗は高3(※11)
2008/??/??  陽毬たちがトリプルHとして応募しようとする、鏡を割る、鯉をつかまえる、陽毬は小5(※12)
2008/??/??  '95年の事件の主犯格容疑者として家宅捜索、両親失踪(※13)
2008/??/??  陽毬が消しゴムを投げつけられながら下校(※14)
2010/??/??  ダブルHデビュー(※15)
2011/??/??  陽毬の余命宣告(※16)
2011/10/??  高倉三兄妹が水族館へ行く、陽毬死亡、復活(※17)
2011/10/15  高倉家にペンギンが届く(※18)
2011/10/20  荻野目家のカレーの日、苹果と高倉三兄妹が出会う
201?/??/??  冠葉が新指導者となりKIGAが再び地下鉄の事件を起こそうとする(※19)
  ※1…普通に考えれば1995/3/20以降のはずだが、※4で「5年前に~」と言っている。
  ※2…高2の冠葉・晶馬・苹果の生年を逆算。イリュージョン空間に「95」の文字が多数。地下鉄サリン事件と同日。
      晶馬・冠葉は双子ではないが、「同じ日に生まれた他人」(21話)。真砂子は冠葉の「双子の妹」(23話)。
  ※3…桃果の年齢は公式サイトのストーリー解説文中より{1}。「多蕗と同級生」という6話の苹果母の発言と不整合。
      多蕗の学年は、地下鉄に駆け付ける朝の名札より。※11の学年と不整合。多蕗の現在年齢は22~24歳の範囲か。
  ※4…台所のカレンダーに「1999 3 March」の文字。苹果の誕生日の前日。
  ※5…24話の回想電光掲示板「10年前」。
      まだ晶馬は林檎を持っておらず、この時に冠葉から分け与えられるので、陽毬との出会いより先だと思われる。
  ※6…20話の回想電光掲示板「10年前」。雪が降っている季節。
  ※7…KIGAのアジトに冠葉が残り、真砂子・マリオが夏芽家へ帰された後の時期。父親は存命中。
  ※8…21話の回想電光掲示板「10年前」。陽毬は既に高倉家の子供になった後。
  ※9…5話の回想電光掲示板「9年前」。台風シーズン。
  ※10…※4の場面から、回想電光掲示板で「それから6年後」。苹果はピンクのワンピース。
  ※11…回想電光掲示板。苹果は黒のワンピース、多蕗は制服。苹果母「桂樹くんも高校卒業かぁ」。※3の学年と不整合。
  ※12…オーディション用紙に3人とも「小5」と記入してある。
       半袖(大人は長袖)やランドセルに入っている「水泳カード」から、初夏or晩夏だと思われる。
       眞悧のセリフでは「3年前」だが、下記の画中小物から推測すると4年余り前(2007年夏)になる。
         ・ランドセルに水泳カードとともに入っている何かの冊子が「平成19年度」となっている。
         ・※15のトリプルHデビュー(テレビ字幕を基準にした2009年夏の場合)の2年前。
         ・高倉家の柱に貼られたプリクラ写真に「2007」「トリプルH」の文字。
  ※13…13話の回想電光掲示板「三年前」。
  ※14…疎外されている雰囲気から、両親の容疑発覚後と推測される。
  ※15…眞悧のセリフの「3年前」と「そして2年後」から計算すると、作中現在の1年前になる。
       しかし、テレビ字幕の「2011年7月アナログ放送終了」まで「あと2年」から計算すると2009年の夏頃になる。
       1年数ヶ月を切上げたとしても、陽毬は半袖なので、2010年の夏時点に「あと2年」表示は不自然。
  ※16…入院治療を諦めて余命を過ごしに家庭へ戻る際なので、水族館の直前の9月下旬~10月頭ごろか。
       この際、カルテ記載の陽毬の年齢は「13歳」。ただし今は記入時点から月日が経っている可能性もある。
       ※11の小5を3年前とするなら現在は中2、4年前とするなら現在は中3なので、
       総合的に考えると、陽毬の作中現在の年齢は「中2で13~14歳」の可能性が高いのではないか。
  ※17…※17から遡り、経過観察~退院して日常生活に戻るまでの期間を考えると、10月上旬ごろか。
  ※18…同じ日の、授業中の黒板の日付。なお、「10月15日」は陽毬が9話で本を返却するシーンの「本日」と一致する。
       晶馬の定期券が「16歳 男」「23.9.22」~「23.12.21」なので、作中現在は平成23年(2011年)と判る。
  ※19…日時の明示はないが、服装や風景描写からかなり寒い季節と思われる。

小説版

(作中現在を2011年と仮定する)
1995/ 3/20  地下鉄の事件、桃果の命日、苹果・晶馬・冠葉・真砂子の誕生日、桃果・多蕗は10歳(※1)(※2)
1995/ ?/??  荻野目夫妻が「苹果を桃果の分まで愛していく」と誓った時期
2000/ 3/19  苹果が両親の喧嘩を目撃(※3)
2002/??/??  剣山が発熱した陽毬をおぶって病院へ運ぶ、陽毬5歳(※4)
2003/??/??  「箱」の中の晶馬と冠葉が出会う(※5)
2003/??/??  KIGAのアジトがある団地で晶馬と陽毬が出会う、冠葉・真砂子・マリオも集会に参加(※6)
2003/??/??  夏芽父が死亡、冠葉が高倉家に引き取られる(※7)
2004/??/??  冠葉が夜の夏芽邸でしばしば真砂子と会う(※8)
2006/ 3/20  3話のカレーの日の回想、苹果11歳、多蕗は大学生(※9)
2007/ 3/20  6話のカレーの日・シュレーディンガーの猫会話の回想(※10)
2008/??/??  陽毬たちがトリプルHとして応募しようとする、鏡を割る、鯉をつかまえる(※11)
2008/??/??  '95年の事件の主犯格容疑者として家宅捜索、両親失踪、双子13歳・陽毬10歳(※12)
2008/??/??  陽毬が消しゴムを投げつけられながら下校(※13)
2010/??/??  トリプルHデビュー(※14)
2011/??/??  陽毬の余命宣告
2011/??/??  高倉三兄妹が水族館へ行く、陽毬死亡、復活(※15)
2011/??/??  高倉家にペンギンが届く
2011/??/20  荻野目家のカレーの日、苹果と高倉三兄妹が出会う
2012/ 3/20  冠葉が新指導者となりKIGAが再び地下鉄の事件を起こそうとする(※16)
  ※1…高2(上巻p.35)の晶馬からの逆算だが、高1(上巻p.65)の苹果は1996/3/20生まれのはず。
      しかし、冠葉・晶馬も(中巻p.82)苹果も(中巻p.95)、ともに事件当日に生まれた旨の記述。
      また、真砂子は冠葉の「双子の妹」(下巻p.178)。
  ※2…桃果・多蕗の年齢は中巻p.93。したがって、多蕗の現在の年齢は26~27歳。
  ※3…※10の7年前(上巻p.204)。
  ※4…9年前で、台風13号が上陸する季節(上巻p.151)。「五歳の娘の熱が~」(上巻p.152)。
      ここから計算すると、作中現在の陽毬は14歳。ただし※12。
      高倉家に陽毬・冠葉とも揃っているので、※7より後の時期のはずだが、年代記述は前後している。
  ※5…まだ晶馬は林檎を持っておらず、この時に冠葉から分け与えられるので、陽毬との出会いより先だと思われる。
  ※6…8年前の冬(下巻p.60)。晶馬らは8歳、陽毬は5~6歳と思われる。
  ※7…「もう八年も前の話だ」の記述より(下巻p.161)。したがって、冠葉・真砂子らは8歳。
  ※8…真砂子9歳(中巻p.242)。したがって、双子の冠葉や同じ誕生日の晶馬らも9歳。
      ※7の年齢からすると、冠葉は高倉家へ引き取られた後も真砂子に会いに行っていたことになる。
  ※9…5年前の3月20日(上巻p.102)。2011年秋からの「5年前」だと、※10と同じ2007/3/20の可能性もあり。
      2006/3/20に11歳なら1995/3/20生まれと整合し、2007/3/20なら現在高1である学年に整合する。
      苹果は黒のワンピース、多蕗は着なれない黒スーツ。
  ※10…※3から7年後、桃果の十三回忌(上巻p.204)=1995/3/20から満12年。
       苹果は黒のワンピース、多蕗は着なれないスーツ(色不明)。
  ※11…「ほんの三年前のこと」の記述より(上巻p.296)。
  ※12…「三年前のその日」「十三歳の僕と兄貴、それから十歳の陽毬」(中巻p.117)。
       ここから計算すると、作中現在の陽毬は13歳。
       ※4の季節との間に誕生日があって、中2で13~14歳のどちらかなのか。
  ※13…異端・悪として疎外されている描写(上巻p.314)から、両親の容疑発覚後と推測される。
  ※14…下校の場面に続いて「そして二年後」の記述より(上巻p.315)。
  ※15…蘇生から「数日後」に、「状態が安定している」と主治医から太鼓判をもらう。
  ※16…「同じ日、同じ時刻」(下巻p.192)。
乗り換え後の世界で陽毬・苹果の検査入院が済む頃には桜の季節。
       ただし、2012/3/20では高2の冠葉は17歳になり、
       「十六年前の意志を受け継ぐ」という台詞に反して1995年から「17年」になる。
       もし物語の開始時点を2011年秋でなく2010年秋と仮定し、「同じ日」を2011/3/20と考えた場合、
       「16年前」や苹果が高1であることには合致するが、逆に晶馬らの学年が整合しなくなり
       わざわざ発売時期の1年前を作中現在に設定するという点でも不自然。
************************
この考察、読み込んでなければ判らない部分かも。
だって私は基本流し読みっぽい読み方だもんなぁ~。
とりあえず、小説読みたい。(^_^;)
それにしても、アニメで見るからに‘10年前’と‘3年前’が多いかもね。

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【2014/04/30 00:04 】 | アニメの感想 | 有り難いご意見(0)
WEB記事、「輪るピングドラム~考察」を読んでの感想2。
輪るピングドラム 可愛すぎるペンギン 
考察をまとめサイトより引用

525 名前:名無しさん 投稿日:2011年12月24日 08:36
「少年よ、我に帰れ」というもう一つのテーマから言えば、真砂子にとっては兄を取り戻したい、陽毬にとっては一人だけあらぬ方向へ暴走してしまった冠馬の心を取り戻したいというダブルミーニングになってると思う。冠葉という名前にはカンパネルラとカムバックの両方の意味が含まれてる。

陽毬の運命の人は晶馬だったけど、彼女はちゃんとふられてから自分の命に代えて冠葉の心を取り戻そうという決心をしている。二人は血は繋がってないけど容姿も性格もよく似ていて優しく人を癒す存在だけれども、情熱的に境界を超えていく冠葉や苹果のような激しさを自発的には持ってない。本当の兄弟ではないが兄弟的な関係。冠葉と陽毬は異性的。冠葉の度重なる自己犠牲はいつしか陽毬の心を動かしたはず。少なくとも陽毬が死ぬ間際に呼んだ名前は冠葉だった。
冠葉には自分が陽毬の運命の人でないことに深いコンプレックスがある。冠葉は著しく間違った方向へ暴走してしまったけれども、それが全て愛からであったゆえに愛した者たちからの救われた。始まりは冠葉が晶馬に渡した半分のリンゴであり、そのリンゴが自分へ帰ってきたときに(陽毬が冠葉にキスした時に)冠葉の心も帰ってきた。
晶馬は冠葉のリンゴを返す代わり、別の苹果を得た。冠葉からリンゴをもらったときは思いつかなかった何かを伝えたい人、伝えたい言葉の両方。そして同時にリンゴを分け合うことのもう一つの意味「運命を改変する」ことの罪を引き受ける。

主人公達はそれぞれ自分の命を犠牲にして誰かを助けている。それゆえ彼らは「本当の幸い」を分け合った場所において永遠に一緒にいられる。誰も愛せないサネトシだけが暗闇に取り残される。

これもハッピーエンドなんだろうな。

*********************
うーん、そっかなぁ。
一種のハッピーエンドなのかもしれないけど、私はもっと大団円にして欲しかった。
それか、2に続くとか。。。

結構皆(特に桃果と眞悧)、自分の勝手で冠葉と晶馬を振り回してるよね?
初めは陽毬の死を受け入れてたのに、生き返らせることによって
自分がなんとかすれば生き返るかもしれない!ってことになったら、
そりゃ必死になるわさ。(それでも人命を奪っちゃいけないとは思うが)
初めは軽い事(手帳を奪う)をすればOK、でもどんどん重いことを要求される…893手腕かい。
結果的に男の子たちの望み通りにはなったけど、なんかなぁ…。

男の子を盾にした陽毬と苹果の遺伝子レベル(無意識)での‘生存戦略’だったのかなと、ちらっと酷いこと思ったりしたけど。
願わくば、また渡瀬眞悧あたりが、姿を現して現世をかき回して、
そのどさくさで、2CPとも両想いになって欲しい所(乙女チック妄想)
(^_^;)

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【2014/04/29 11:12 】 | アニメの感想 | 有り難いご意見(0)
WEB記事、「‘輪るピングドラム’感想」をみました。
輪るピングドラム最終回(ネタバレ注意) これはすごいアニメだ

「愛してる」
最終話タイトル。
色々な愛の形が描かれた最終話でした。
冠葉、昌馬、ひまり、りんご。多蕗&百合。

自分をだめにしてしまっても
相手を守ってあげたい。
とにかく相手に生きていて欲しい。

そういう感情を愛だとすると、
最後に3兄弟は愛情を分け与え、共有したんですね。
最終的に1人生かされたヒマリも、自分の命はもういいよ、と思っていた訳で。

冠葉は結局それでもヒマリを救いたかったので、
ヒマリは生き残ったということでしょうか。

特に冠葉には乱暴かもしれませんが、「自己犠牲の愛」
そういう愛がありましたね。
昌馬は、そんな冠葉も愛しているので、それに「ついて行った」のでしょう。

昌馬は最後に、リンゴちゃんを愛しているということに気がつき(認め?)、
「愛してる」と伝えたところには、いたく感動しました。

何に感動したって、
家族というある意味守られた空間で愛をまわし続けるのではなく、
「第3者」に愛を与えてみるという
勇気ある行動をしたことに。

冠葉とともに消えていくと同時に、リンゴちゃんを守ったということは、
「運命」を受け入れ、同時に「運命」に逆らったということでしょう。

でも、「運命」って一体なんなんだ?
とにかく、このアニメは、現代人へのあったかい応援歌だと思うのです。

無縁社会、孤独死、終わらぬ不況、、日本は、ハッキリ言って、暗闇の中でもがき中です。
暗中模索もいいとこです。それどころか、世界規模で見ても、
なんか、イマイチ希望をもてない。(気がしている。)

閉塞感がもしかしたら蔓延している2011年、日本。
経済成長を主軸におく国家戦略や資本主義やらは、
もしかしたら破綻するのかもしれない。

世界の枠組みも、もしかしたら、
もしかすると変わるのかもしれない。
日記が無くとも、なし崩し的に世界は、ぜんぶ変わってしまうかも。


けれども、けれど。
そんな閉塞感を受け入れつつも、
愛ある日常とか、愛する人がいるって奇跡的でそして素敵なんだよって。

アナタにはそんな人いる?

今いなくても、いつかね。


・・・みたいなことをイクニチャウダーは伝えたいのかなぁと。
今のところ思っています。


多蕗さんと百合も言ってましたね。
愛されない子供のなんと多いことか、と。
そんな子供のまま大人になってしまった人間ばっかだよ、と。

でも2人は愛を得たのです。

「愛を得るために、2人は生かされた」、と。
モモカを救うこと(過去に囚われること)を諦め、
今を生きようとし始めるのです。

メルヘン症候群に常時罹患している自分としてはですね。
次のようなセリフがアニメから伝わってくるのです。
(BeatlesのAll you need is Loveとともに)

アナタを守り、愛している人は、きっといるよ。
あの兄弟のようにね。

あ、でももしかしたら気づいていないだけで、
(気づこうとしていないだけで、)
すでに自分でつかみ取ってるかもね。
多蕗くんたちのように。

人生つらいこともあるし、
傷だらけになったけど、
愛があれば、なんとかなるさ。

愛がなくて孤独死しそうなそこのアナタ、
子どもブロイラーに乗せられそうなそこの大人なアナタ、
生存戦略してごらんよ。

そもそも、アナタ自身、
なんらかの生存戦略で生まれた子供なんだから。
運命ぐらい乗り換えてやれ。

あ、でも
もしかしたら、アナタはすでにご褒美のリンゴちゃんを与えられ、
そうして生かされたヒマリちゃんかもしれないね!
・・・・・・言いすぎですかね?
でも、我々みんな、ヒマリちゃん予備軍であることは、
間違いないと思うのです。
だって、生きてるんだもの。


最後に、少し気になる点がいくつか。

1、サネトシ復活疑惑

サネトシ先生は相変わらず虎視眈々と、
正義感だかエゴイズムだか分からないものを持ったまま、
謎の世界にとどまっています。

(おそらく、モモカはとりあえずサネトシの暴走を止めたことで
 世界やリンゴちゃんを守ったため、消えてしまった。
 肉体&精神が消滅したという本当の「死」を選んだのかな?・・・ってことは
 冠葉と昌馬も、いずれ死んでしまうのかな・・・号泣。

でも、サネトシは残ったわけで。
いつかまた、サネトシ先生がこの世の中に現れるかも。
そのときは、一体だれが、どんな風に、世界を救うのか。
もしくは、救えないのか。


2、運命って・・・
愛する人を守って死ぬのは、
果たして「ご褒美」なんですかね。
本当にそこから「物語は始まる」んですかね。

という疑問は、たぶん、持たざるを得ない。

だって昌馬と冠葉は、呪われた運命から、結局逃れられていない。
結果論から言えばね。消えちゃったもん。理不尽ね。
カワイソウ。
もしくはメルヘンナルシストな自己犠牲って、なんか哀れ。
・・・で終わってはいけないのです、
我々「生かされている」側の人間は。


まぁ、昌馬や、冠葉にとっては、「終わり」。
(2人は別空間でふわふわ生きていますが、 私たちは会えない。見れもしない。
 つか、そもそも覚えていない。とっくに、忘れとる。)

でも、昌馬や冠葉にとっては、そこが「物語の始まり」。
だから守られた人(ヒマリ&リンゴ&もしかすると私たちの誰か)もまた、
「始まり」にしなければならないのです。
何かを犠牲にしてまで守った人の「命」なんですから。

もうそうなりますと、生きとし生ける人間どもは、
ご先祖様に感謝しなければなりませんな。

なぜなら、そうした生存戦略を得て、
私たちは今「生かされている」のですから。


「運命」てのを「地球で生きる上での必然的な勝ち負け」だとか
「どうしても生まれてしまう犠牲者」とか
そういう現実的なものに置き換えられると思います。

でまぁ、それを受け入れた上で、まぁ、生きろ、と。

実は子供の冠葉や昌馬がそこらへんを
ウロウロしてるかも?

と、終わってからでも思わせてくれる素敵なアニメでした。 
************************************
遂にDVDと本(上中下巻)を大人買い、なかなかこの熱は冷めず、
今月引き摺りそうです(^_-)

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【2014/04/28 11:10 】 | アニメの感想 | 有り難いご意見(0)
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